05.3.5

旧正月も節分もひな祭りも終わって、おととい昨日と大雪でした。

このあたりの平場でも降った雪は、降っている最中は結構乾いていたのですが今日になると気温が高いせいかもったり下しめった雪になってます。朝から雪かきを次男としたのですがとりあえず雪のぶつけ合いで始まりましたが、いい年の二人はすぐにあきてしまいました。

雪かきとゴボウの収穫用に買ったバックホーはもう5年くらいになりますがまだなおしながら動いていて、たいした働きをしてくれます。たいていの仕事は、この機械が壊れて半日かけて直しても手でやるよりはずっと早く終わります。

夕べ奥さんは、平の町で集まりがあり、ずんずん積もった雪の中じたばたと出かけてゆきました。案の定帰りには雪はつるつるぐちゃぐちゃになり、急な坂で上れなくなり、バックして雪につっこみ動けなくなり、どこからかけたのか携帯で救出を要請してきました。風呂にも入り、布団に入ってやっと暖まってきたところだったのでさぞ機嫌の悪い顔をしていたことでしょう。

 

05.1.8

年末に灯油がなくなって、平の町へ買い物に出た時にポリタンク8本ワゴン車に積んで出かけました。ちょっと安いセルフスタンドで満タンにしてお買い物して帰ってくるともう道路は真っ白に雪が積もり、何とか我が家にたどり着いたのは夜10時頃。で、灯油はそのまま。朝二台を見ると一本倒れていて半分くらいこぼれていて、車の中は10リッター分の灯油の香りでいっぱい。三ヶ日は車を使わずに、灯油のことは忘れていようと努力していたのですが、使わないわけにも行かず、困ったあげく、石けんとお湯で流そうデッキブラシでごしごし洗ったのですが、かえってこれで、運転席の方までぬれて臭くなり目はちかちか、のどは痛くなるし、車を代えたい気分でした。翌日次男と後部座席を全部はずしフロアーのカーペットをはがし、石けん液でお湯をかけながらごしごし。さらに翌日運転席もはずしてカーペットを敵のように引きはがし、またまた石けんでごしごし。中古車屋さんを回り同じ車を見つけ手慣れた次男と僕は一時間で座席を取り外しカーペットをはがしてきたのでした。おかげさまで、床は前よりきれいになりました。正月三日ごろごろしてなまった体に、いつものような疲労感がよみがえり、「これから又一年が始まるんだ」という実感がわきました。やる気満々とはいえませんでしたが。

でも臭い車の解体を最後までへらへらと手伝ってくれた次男には感謝です。

愛車に灯油をこぼして困っている方がおりましたら、みれっとファームまでご連絡下さい。カーペットを格安でお取り替え致します。

更に、みれっとの仕事ですが、六日に初荷発送をしたのですが、早速大どじをふみお客さんの荷物の中身を間違えてしまいました。

これからの一年が思いやられます。

 

2005.1.2

新年あけました。

去年の春に一人暮らしをしていた高校生の次男の拓未が家から通うようになり、次には東京へ働きに出て行ったはずの長男弥市が戻ってきて、それからというもの、やっと二人暮らしに慣れたところなのに、一気に4人の暮らしに舞い戻り、にぎやかでいいとか、東京は物騒で家にい方が安心と人には言われます。金もかからないし、とにかく2人分の生活費を出すなんてとってもたいへんで、あれよあれよという間に貯金は底をつき、元々自転車操業の商売のこぎ方がさらに早くなったところに戻ってきたわけだから喜んでいいのかもしれないが。

金を出している父親としては少額でも外貨を稼いで欲しかったのが本音で、家の商売を手伝ってくれるのはありがたいし、仕事を覚えて代わってくれるのならこんな嬉しいことはないのだが。そうはうまくいかないのが世の常。

二十歳の頃の自分を思うととてもとても元を取れるような仕事なんかしていなかったし、後継者への投資をするほどの余裕はないもの。で結局思うように仕事が出来ないとしかってしまい、親子なもので元も子もないような言い方になってしまい。普通2〜3週間もしかられるといやになってどこかへ行ってしまうと思うのだけれど、出来た息子はぶーたれながら出来の悪い親だから仕方がないと手伝っています。困ったものですね。

初夢・・・フランスパンの注文を大量にもらって、焼き上がったパンをぶつぶつと切り、サンドイッチにしている夢。注文は100本だったかなー。こんな注文が夢なんだけれど、できたレタスがリアルにはさんであったオープンサンドはおいしそうだった。

 

12.25

今回は一年たたずに書く気になった。

やっとクリスマスの出荷が終わり、最後の出荷の注文も出そろい(ほとんど無い)最後のパン焼きを明日に控えこれから仕込みに行く前のひととき。今年は不景気な年だった・・・様な気がする。つらかった様な春も、つらかった様な夏も、つらかったような秋も、みんな過去の思い出。ほとんど忘れてしまったが。残った思い出は今年3台買った車のローンと、東京から帰ってきた長男の弥市、アパート引き上げた次男の拓未。我が道をゆく我妻桂子。

3台買ったというとすごいと思うだろうが、トンでもない。去年の暮れに車検をとおらなかった奥様の専用車を正月前にあわててネットで探し、一度も見ないで買ったヴィッツ。3年ローン。とわだ分校なんだれで大工仕事に無くちゃこまるといわれ、何でか買わされる羽目になった軽トラック。2年ローン。夏になるとエアコンが効かなくなる(冬はなぜか効く)愛車のタウンエースのオイルが漏れるは、マフラーには大穴あくは、タイヤは減るはで買い換えた方が安いよと車やさんに言われ、5年ローン。全部あわせて10年ローン。これで中古車が三台。どうせなら新車三台にすれば良かった。・・まあいいか。愚痴はこぼすまい。こぼすまい、こぼすまい。

 

2004.5.29

あ〜 、一年たってしまった。

うちの奥さんの話ですが、とわだリターンプロジェクトっていうのがあって、地区の分校活用というのやってて、今は6月6日の音楽会に向けての準備で、僕はもうかれこれ2ヶ月くらい週末大工をやっていて休みもなく月曜日がやってくる。いつものお菓子作りやパン焼きで体を休めて週末は大工と土方仕事。昼も夜もなんだか忙しくて。 とは言っても学校の古くていたんだ子供用のトイレがきれいな簡易水洗便器に変わり、きれいにできあがってくるとやっぱりうれしくなってくる物です。便層を掘り起こし合併層を埋め戻し、パイプをつなぐために便器の下に潜り込んで古い便層のスラブを枕に、便器の穴を通して見る天井からは、遙か昔の子供たちの声が響いて聞こえてきます。あ〜懐かしい子供の頃を思い出す。トイレに入るとからかわれてしまうもので人知れず小部屋に入り、音を立てずに用を済ませ、聞き耳を立てて誰もいないのを確認して、さっと何事もなかったように出てきた小学生の可愛い僕でした。高校時代はというと職員専用のトイレがきれいでよく使っていたものです。大学時代はというと、もういいか。今はというと、自分の家にトイレを2つ作り、人知れず本やパソコンを持ち込み時を忘れていられる幸せの小部屋です。

というわけでトイレは人生で一番大事な場所の一つと思っている僕が作った分校のトイレは、これは皆さんに見て頂きたいものです。そしてゆっくり時を過ごしていってもらいたいです。

で、女子用トイレは今日開通しました。男子用トイレは音楽会が終わってから、ゆっくり続けるとしよう。

同時進行で、売店になるような東屋を建てているのだけれど、6坪の可愛いい小屋で、ちょっとだけログハウスなんです。川内村の女性大工の愛ちゃんが棟梁で、二週間かけて刻みが終わり、今日土台を回し、土間のコンクリートを打ち、明日棟上げです。これも何とか音楽会に間に合いそうです。

後一週間だけばたばたをがまんします。と、いいながら、毎週更新しているのですが。

初夏の戸渡は気持ちがよくって、ちょっと寒かったり暑かったり湿気ていたりもするのだけれど差があるだけにいいときはいい。こんな季節はゆったりと百姓をしていたいのですが、なかなか思ったようにはできなものです。

旅立つときにさんざん親を泣かせた息子二人が、この春うちに帰ってきたんです。長男は東京の専門学校へ、次男はアパートを借りて高校生活。いろいろありましてそれぞれへらへらとうちで暮らしています。お金も大変だったので、父親としてはありがたいのですが、母親はやっと独自路線を歩み始めた矢先にくじかれたって感じで、飯と洗濯で大いに忙しくなり大変になったようですがうれしくもあるようで、でかい男二人をあごで使っています。僕はというと今までと変わらず目立たないように暮らしています。

 

 

8/18

みれっとの仕事は発送が週に一度なので一度休むとそれに伴って前後あわせて約10日の休みになってしまう。そんなに長い休みが取れていいかというと、日頃手を抜いているところの穴埋めをしなくてはならないのでそりゃぁもう忙しい。この長雨でくるひもくるひも畑に入れず、草が胸くらいまでのびて、雨の合間を見てエンジン草刈り機でかるのだけれど、群れていて重たいし、しずくは垂れるし、嫌になってしまう。家族旅行にも行きたいし。

8月の初めからみれっとの工房にテラスを作っているんだけれど、これはもう10年前から作りたかったのだけれどあまり役に立たなさそうなので後回しにしていた工事で、今年こそはやるぞ、とこの春早くに切り倒しておいた杉の木の製材から始まり、それで、建て方はと言うとすっかり体がなまってしまった僕はこの秋不景気で廃業するログハウスの大工に頼むことにしてしまった。自分でやると冬になってしまうだろうからと、言い聞かせて。で、日のサンサンと当たるサンルームで昼寝をする自分、ではなく、訪ねてきたお客さんが花壇を見ながら、ハーブティー何ぞをずずっと気持ちよさげに飲んでいる姿を思い浮かべながらじたばたとセメントを練ったのでした。

3〜4年前に一度行った裏磐梯の檜原湖にある小さなホテルに家族で行って来ました。那須に住んでいる僕の母親が一緒に行くことになったので、自動車のエアコンが全く効かないものだから、郡山まで運転していった長男を始め母親以外のみんなあついあついあついあついと何回も何回もこれでもかこれでもかと、何ともならない不満を到着するまで言われ続け、その不満は僕に言ってるのじゃないよね。車に行ってるんだよね、それとも夏にいってるのかな。そんな僕のドライブは、タダは早く到着するためだけににアクセルを踏み続けた数時間でした。エアコンの効く車で旅をしてみたい。

家族の不満は無視していれば時間が解決してくれるもの。これは忍耐とか言うよね。忍耐と言えば耐え忍ぶと言って、徳を積むと言う、立派な人になるための修行につながることですね。がんばらねば。

 

 

 

6/29

6/1山の音楽会が無事に終わってくれて、しかもいわき市の教育委員会への旧分校の地区での有効利用をお願いしていたのが二年間の実績でやっと理解をしていただけました。賃貸でいわき市より借り受けることができるようになりました。まもなく契約となります。どこでもやってることなのだけれどいわき市では初めてのことで、要望を出している間、市ではどうしたもんだか、、、とずーっと悩んでいたんだろうと思います。役人としては前例がないからと門前払いをするのが一番平和で何事もなく、市民を納得させるよい理由なのだと思います。何度も足を運ぶうちに要望してきた人ものれんに腕押し状態に嫌気がさしてあきらめるのが普通だと思うんだけれど、これも地域の特性をよくわかった上での対処とも思うのでしかたないよね。今度の場合は、いわきのはずれの12世帯の住人の要望なのではあるけれど、ちょっと違うのは、実際に動いていたのがよそ者だったんだからこれは普通の対処の仕方ではだめだったということで、とうとういわき市もおれざるを得なかったって所でしょうか。

約二年間わからんちん(誰もかれも)を説得しながら実績を作ってきたよそ者の実行犯は、すっかり疲れてしまい、おなかいてーと、病院へ行ったのだけれど、某M病院では、よくわかんなーい、と言われ、看護婦さんにはほかに行って観てもらったらと小声で言われるしまつ。

話かわって、今年になって急に、昔々僕が青年だった頃FMラジオから録音したライブのテープのことを思い出し気にかけていたら、何気なくあったんだよね。25年くらい前に東京FM10周年記念コンサートってやつで、山下洋輔ほか当時の日本を代表するジャズマンたちがいっぱいでていて、知る人ぞ知る幻の朗読があって。それを聞いていると見目麗しい20代前半の僕がいて、当時の友達があほなこと言っているのが走馬燈のようにまぶたの裏に見えたりして、最近思い出で結構長いこと楽しめたりするのは年をとったせいもあるんだけれど時間を無駄に使う楽しい方法で、これがまた楽しいね。

で、このテープをパソコンに取り込んでCDに焼いてみんなに配っておけばもう探したりすることはなくなると思い、こんな作業をぼちぼち3ヶ月もやっていた先々週あたり、当時山下洋輔のバンドメンバーで、このコンサートに出演して後、行方をくらましたベースの國仲勝男さんの演奏にご招待すると戸渡のイベントの時にPAをやってくれた丹治夫婦に言われ、これも何かの縁だろうと思いながらも行ってびっくり心奪われもうめろめろの演奏と言うわけで。どんな演奏かというと、中近東あたりのギターの原型になるらしい日本のびわによく似た形のウードという楽器の素朴な音もすてきなのだけれど、それを生かす長年の彼のテクニックと養われた感性はすばらしいもので、久方の感動でした。次はいつ聞けるだろう。

 

5/24

雨が続いて、からからだった畑に一気に草が生えそろい、ぐんぐん伸びてまた今年も命の源、酸素の供給源、マイナスイオン発生器のグリーングラスとの戦いが始まった。草刈り機を納屋から出してさあ始めようとエンジンをかけようとするがひもが引けない。半日ばらしてあきらめて、近所のおっさんから借りてきて、今日しかない大事な草刈りの日をむだにしてはと午後から6時過ぎまでぶんぶん刈ってたものだから、指先がしびちまった。

家に向かう道を刈っていると誰がおいていったのか、たばこの吸い殻のやまが、空き缶が、ペットボトルが、ポケットティッシュのビニールのそばには、ぬれてふやけたティッシュが。どれもいやなものだけど、最後のティッシュは何とかならないかと思うんだよね。このあたりは近くにコンビにないし、駅ないし、仕方ないと言えば仕方ないけどわざわざ家に入る道の真ん中に用を足して行かなくても、と思うんだよね。せめて用は足してもティッシュは持って帰って欲しいもんだ。

いつだったか家の入り口で山菜取りに来たおばさんが、弁当を食べていて、お天気もいいし、ピクニック日和だなー、と通り過ぎて、戻ってくると弁当のから袋が、残してあったりして。数分前は何の恨みもなかったおばさんたちが、何分後かにはあの・・・・・ぁー、となってしまい。近頃の中年すぎた方たちの行儀の悪さと来たら何なんだろうね。山では一方的に心が広くなってしまうまちの方たちに今日もあきれてしまいました。

。。。。ティッシュはもってかえってね。。。。

 

5/10

 

この仕事を始めてもう何年になるか、いつがはじめだかよく分からないのだけれど、屋号をたててからは、10年以上になり、最近はスタッフも減って一人で長時間の作業が続いているおかげで、腰が痛んできて。腰が痛かったのは、我が家を作っている時からだけれど、そのころは三年間毎週末は、三日間家づくり、残りの四日はパンとお菓子作りと言う毎日で、春になると畑仕事も加わり、三年間を目標にして、意地になって作り続けたおかげであっちこっち壊れて、プールに行って、のばして縮めてもみほぐし、何とか引き延ばしたものだけれど、家を造り終わったとたんに動かなくなったものだからあっちこっちつんつん筋肉が引っ張られてどんどんからだが堅くなり、筋肉はおちてスジになり、関節は動かなくなるは、金はかかるは、腹は減るは、年はとるは、更年期にはなるは、時間は過ぎては怒濤のごとく滝壺に向かって落ちて行くは、老眼になるは、近眼になるは、うーん。

 

 

5/7

みれっとファームの出荷を一回休むと、約10日の休みになってしまい、パートのおばさんはちょっと不満そうなのだけれど、僕だって月の売り上げが4分の1減るわけでそりゃあもう来月の支払いを考えると休みなんか取りたくないよ。でも毎年この時期休まないと畑の支度が追い付かなくて後で後悔するのが目に見えてる。

4月の26日からトラクターに乗って耕しては、畝をたて、クッキーになるカボチャの植え床を作り、煮物にするじゃがいもと近所のおやじさんにもらったとろろ芋にする山芋を植え付け、田舎を離れた子供達が夏になって帰ってきて食べたいだろうとうもろこしを蒔き、畑の周りにはってある猪よけの電流ケーブルを張り直し、水まきはそのうち雨が降るだろうとはしょっていたら、今だに降らずにからから。

畑のはじっこに植えてあるアンズの花が花盛りでそれはそれは凄いにおい。はちみつを煮ている様な、蜜ろうを溶かしているような。いつもならみつばちがうんうんうなって飛び回っているはずなのに今年はちっとも見ない。近所のおばあちゃんにきいたら、かっていた蜜蜂が全滅したって言ってた。蜜蜂がいないとなんだか寂しいね。そう言えばチョウチョも見ないよ。

その間に部落の共同作業があり、連休前の日に子供を迎えに行って、たまには家族で町に行ったり買い物したり。長くて短い休みが終わって見れば、つくり置きのお菓子が足りないもんだから、必死で作ればもう、、、充実感たっぷりの二週間でした。

部落の中に作った花壇はとても可愛くできてちょっと満足でした。いわきの明星大学のぴちぴち学生が4人ボランティアで手伝いにきたものだから、そりゃあもうひさしぶりに若返った気分でしたが、だんだん元気についてゆけなくなっていました。

休みの最後の日曜日に、最近お友達になった同世代くらいの夫婦が遊びにきて、半日。住んでいる環境とのギャップでぼーっとして帰って行きました。帰ってきっと今日はなんだかすんごくつかれたね〜、と言うんだろうな、と思っていたら、夜メールがきて、すんごく疲れた、とのことでした。

今度の休みは御盆まで。それまでなんとかがんばろうかな。

 

2003/4/6

新年あけましておめでとうございます。私も三月にお誕生日を迎え、いい年になりました。羊年の僕は今年もぼんやりと人をいらつかせながらへらへらと静かに歩んで行くことを年頭に誓いました。

とかなんとか言っているうちに五ヶ月もたってしまったよ。

その間にいろいろなことがおこっては消え、おこっては消え、解決する間もなく春になりました。

次男が高校お受験で、めでたく県立高校に合格したのだけれど、ここから通うには毎日いわきのはじからはじまで移動しなければならなく、仕方なくアパートで、一人暮らしとなったわけです。そりゃあもう、金はかけたくないけれど、これまで、長男の通 学とあわせて、8年の送り迎えにには飽き飽きしていたし、車に乗せられて待ち合わせの時間を毎日約束するのももうたくさんだと言う子供の意見もあり、出家、ではなく家出でもなく、一人立ちとまではいかないけれどひとり暮らしを昨日から始めたのでした。

子供を送ってて行って、夜かえってくると、二人しかいなくって、ちょっと寂しいもんだね。去年の春長男が東京へ就職で上京したのだけれど、今年の一月に止めてしまって、1年もたなかったのはちょっと早かった気もするけれど、朝からよる遅くまでの仕事だったこともあり、ともだちもできる暇もなく、遊ぶ金もなく、ちょっと可哀想だと思っていたので、専門学校へ行きたいのだけれどと言われ、それならいいかとあっさり金を出すはめになり。

う〜ん今年はちょっと大変かも。まじめに働かないと痛い目にあうかも。痛いめ感じないかも。

 

11/9

秋が終わり、当然夏は終わっているんだけれど、冬になってしまった。なんだか奥様の村起こしに部落中振り回されて当然ぼくもなんだけれど、大変だった。三回の音楽会と花壇つくりだの種まきだの、山の下草狩りだのイベント続きでくたびれちまったぜ。地域振興も大事だけれど家庭内振興を、まず何とかしてほしいところ。終わったつもりでいたのだけれど、まだまだずるずるといつまでも続きそうで、いゃーまいったまいった。

カボチャの収穫、トラクターでうなって来年に備え、まき割りをやっている内に雪が吹っかけてきた。会津は、雪だっぺ!

7/23

うちのかあちゃんたら(奥様の事)(隊長)今度は免許証と現金と、クレジットカードの入った財布をどこかに忘れてきて、免許書再発行してもらうために昨日と今日の二日つぶしやがった。なんてやつだ。

 

7/13

うちのかあちゃんたら(奥様の事)(みれっとの親分)今度は腎臓結石だか尿道結石だかとにかく石が時々動くらしくて、何かちゅうといたたたたっというのになって、また一つもちねたが増えました。

話かわって今年は夏休み作業場直しも家直しもしないで、どこかへぱーーーーっと行こう、きっと行ってやる等と心に決めて、ネットで安いツアーはないかいナット探しているうちに、家族3人行くにはまともにウン十万円かかるじゃん、と気がついてもたもたしているうちに、おくさまの結石が、いたたたたたたっと始って。。あぁぁぁぁぁぁぁこれは何処にも行けないなぁ、という判断はきっと正しい。でも、すごくむなしくなってきたんだなー。オオなんていい亭主なんだ、オレって。などと自己満足でもしておいて、金のためられない甲斐性のない自分を慰めておいてェ。

東京へいった長男がアパート借りたいんで金くれーっと言い出して、この春働き出したばかりだし、金があるはずもなくしかたないかと敷金礼金前家賃手数料と。来年高校受験の次男もそろそろ勉強させないと退屈そうなんで夏期講習でも行ってきやがれと金は出てゆく、オヤジは残ると。

5年前に部落のおばちゃんからもらった太陽熱温水器を取りつけたくて、この冬から準備していたんだけれどやっと下地ができて、何せ家作りが終わってからすっかり肉体系の仕事ができなくなってちょっと動くと奥様じゃないが、いたたたたっとなるわけで。最近ちょっとからだにしまりが無くなってきて次男がこの皮のたるみはなんだ、しまらないケツはなんだ、と。最近ちょっと筋肉がついてきたもんだから比べたがって見せたがって。さっさと勉強しやがれと二階に追いやってしまった。

今日の昼間はまたこの夏一番と言ったか言わないか知らないが、僕には一番だった。大汗かいて昼飯前にシャワーをあび、飯を食ったら眠くなって(今日はお休み)昼間っからメールのチェックしているうちに奥様から不満の雄叫びが。プリンターが動かない、だったか、写真を張りつけられないー、だったか、書類が無くなったーーーー、だったか、今までかいていたデータは何処にあるの〜〜〜〜〜〜〜、だったか忘れたけれど我に返ってしまった。太陽熱温水器の設置工事をしてくる、と声もかけずに裏山へ出ていった僕でした。

じゃなくて、昼は扱ったが、夜になっていい風が入ってきて、気持ちがいい、といいたかった。

 

久しぶりにハンマー振り回して腕が痛い。

弥市のアパートでも見てこよう。秋葉でも行ってこようかなっと。

 

6/7

おっと、また一ヶ月たってしまった。

僕の住んでいる集落のいわゆる村おこしをしていたもんで、随分空いてしまった。

イベントは大盛況で500人の入りでした。

お金には全くならないどころか、持ち出しいっぱいであまり後味は良くないって感じ。人間が小さいのでしょう。

みれっとファームのスタッフが一人減ってしまいました。フラワーアレンジメントの勉強がしたいと東京へ行きました。まだ若いので引き止めもしませんでしたが、初めから少ないスタッフでやっていたので、一人減るとものすごい打撃です。こんな山の中なので住み込みでしか仕事はできません。なかなか代わる人はいないものです(探しもしていないのですが)。しばらくは作り手一人のため、すべての注文にこたえられない時があるかもしれませんので、先にごめんなさいを言っておきます。

「ごめんなさい」

実はそれで、人気のあんことゼリーをお休みしています。

みれっとファームの畑も遅れがちで、かぼちゃの定植がまだ済んでいません。雑穀も蒔いていません。

なんとかしなくちゃ。

表紙にぶつぶつ言ってしまった。

 

 

 

4/30

忙しさにかまけていたら一ヶ月以上たってしまった。

まあ、見ている人もあまり期待はしていないだろうと思って後回しにしていたら、何人かに最近どうしたのと言われてしまった。

見る人のために書いているわけじゃないなんて居直る訳はないので、なんと言い訳しようかと考えているうちに、春が過ぎ初夏になってしまった。

ゴールデンウィークに入ったのでまずは、那須の母親の顔でも見てこようと一人出かけたんですが、本当はまだ子供と行きたかったのだけれど下の子も付き合ってくれなくなって寂しくで出したのだけれど、しかたないか。自分の休養のために行くんだから、いいんだけれど。天気もよくっていつも行く温泉も気持ちよかったし、76歳になる母親もあいかわらず元気でうれしいよ。

近くにいる姉の3人いるうちの一番下の子供が小学校2年生でまだ可愛くって、上の子は、野球の試合だ、サッカーだとクラブ活動で忙しく遊べないもんだから、おばあちゃんのところへ遊びに来ていて、温泉だ買い物だと言う年寄りに付き合ってくれるいい子だ。

家に帰ると相変わらずパソコンが思うように動かないと怒っているいつも体調の悪い連れ合いがいて、言うことを聞かない中3の次男が待っていたのでした。いや、待ってはいないか。

実は、数年みれっとファームで僕の手になってくれていた、可愛い沙夜がやめてしまってこの連休前は地獄だった。起きている時間が、朝6時半から夜12時までの18時間の内約10時間を沙夜といたのだから、連れ合いといるより長いんだから。これは、生活のパターンが変っちゃうよ。二人で作っていたのが一人になったのだから間に合うはずもなく、商品も減らそうと思っていたのだけれど、それも惜しくって。うちくらいの規模では普通人を雇う規模ではないので本来あるべき姿なのだけれど。だいぶ慣れてきたけれど電話がなっても出れないし、人が来ても手は休めないし、ここ7〜8年いつも誰かいたものだから、金のやりくりは大変だったけれど時間はとれて。そのおかげで家を建てる事が出来たんだけれど。こどもも大きくできたし、決して不満はないんだけれど。ウ〜んなんだか話が重たくなってきた。結論もないし、終わりはまだなのでやめよっと。

 

今年はかぼちゃを去年の倍に増やすぞ〜。と思ってみれっとファームの前の畑をぜ〜んぶかぼちゃにしてしまった。60株くらいの植え床をつくった。秋の収穫の後のかぼちゃの加工が大変そうだ。

 

今夜弥市が仕事を終えてから休みをとって帰ってくるというので待っていたけれど、いまだに来ないようなので先に寝ることにします。11時40分だ。

 

 

3/20

もう10日になるのに鳥取に免許を取りに行った弥市から何も言ってこない。と東京の知り合いに言ったら、子供なんてそんなもので、初めからいなかったものと思え、と言っていました。

うーんそうかあいつはいなかったんだ。夢を見ていたんだ。楽しかったような思いっきり辛かったような。ここにいるもう一人の子供と、飯の心配をしている女の人もキット幻なんだ、そうなんだ。そう思うと楽しかった夢で済むんだな。物語にはいろいろな出来事があって、まだ途中とは思うけれど下手な監督の作った映画のようにだらだら続いているのでしょう。馬鹿馬鹿しい映画好きだし、どん底におっこちる香港映画も好きだから。

田舎はこうあるべきだと思わせた馬鹿馬鹿しい映画で、邦画の「山田村ワルツ」というのがあっていやいやこれがいい映画だった。みんな馬鹿にしていたけれど、結末はともかく日本の田舎がよく表現されていた、ような気がする。最後にかぼちゃの花粉が飛ぶ光景なんかすんばらしかったね。

花粉と言えば今年の花粉はひどいらしく、今年始めて花粉症になった人もおおいみたいだね。僕は何ともなくってこれも日ごろの精進の賜物ということにしていますが、年取ってから急になる人もいるくらいだから誰にも予想はできないと思うが。せめて今までしてきた食生活はこのまま続けよう。

最近体質が変わってきたみたいで、前は快食快便が取り柄だったのに、ご飯も一膳で済むし、便も勢い付けないとたまる一方で、これが変な感じなんだなー。一日一回確実に代謝していた物が翌日持ち越しするなんて。体の中で出がらしのお茶をもう一回絞り出しているような気分。これは残った栄養分を腸の中で絞り出してるって感じで、そこまで絞り出さなくてもいいような気がするんだけれど。

 

 

3/14

あー、とうとう弥市が東京へ行ってしまった。田舎暮らしの自営業なので、18年間父親ともビッタリ張りついていて、背後霊の様にいつも一緒にいたもんだから、いなくなると思うと寂しいねー。

 

3/7

さて明日は弥市の引っ越しで、東京へ。弥市はうきうきだけれど、桂子さんはちょっといかれているか〜んじ。

 

3/3

金曜日3月1日に長男弥市の学校の卒業式がありました。富岡高校川内村分校という学校で、卒業生31人。広い体育館に一年生16人二年生30人。父兄と来賓教員合計で100人ちょっとくらいの式でした。弥市が生徒会長と二人で卒業前の休み返上で卒業ビデオを制作していました。ここ50年は変っていない形式の日の丸から始る式が中断して、20分間位 の編集したビデオテープが一度も学校の倉庫に眠っていた使ったことのない200インチ位 のスクリーンでバックミュージック入りで始り、途中客席から笑い声が上がるちょっと変った卒業式でした。ビデオが終わると叉すぐに何事も無かったかのように送辞だの答辞が始り、オーこれは変わり目かな、と思わせる式でした。最後に男の子と女の子が二人ずつ花束をもらって退場しましたが、バックの音楽がボリュームいっぱいの弥市の好きなトランス音楽で、最後尾で退場していく弥市はとても誇らしげでした。変な卒業式でしたが。すべて去年着任した理解ある分校長のおかげです。

これで一人片づいたとも思うのだけれど、ちょっと寂しい気分でした。

今日はひな祭り。だいぶ前に奥様に小さなひな人形を買ってあげたことがあるんだけれど、飾っている間もなく過ぎてゆく 男所帯には縁の無いひな祭りです。

 

 

2/15

こないだ突然いとこからメールがきた。付き合いのある親戚がほとんどいない僕には、懐かしい思い出多い子で、年は一回りも違うので、可愛いかった思い出ばかり。19のころ北海道に友達とオートバイで遊びに行って一回りしてきたのだけれど、苫小牧のこの親戚 のうちに随分長い間滞在して年の離れたいとこたちと毎日遊んだ日は、今でもいい思い出で。もう25年も会っていないのでいったいどんな子になっているのか見当もつかないけれど、この子も30代半場だって。自分も一気にオヤジになって見えるんだろうと思うと、これも面 白い気がするけれど。いつか誰かの葬式で会うのかもしれない関係だね。ちょっとこれは悲しいけれど、自分の葬式に来てもらってもつまらないし、周りの誰かでも嫌だよね。だったら合わずにいられたほうがいいかも。

 

2/4

けさは真っ白な銀世界、ちょっと変な表現だなー。日が昇ってから雪が解けはじめ、こないだ整地した砂利の上に水たまりがたまって嫌な感じ。

だけど変にあったかくて、ちょっと不自然。そろそろ天変地異かな。こんな山の中で、いくら勝手にやっていることとは言え不自由な暮らしをしていると、僕達は街の雑踏を捨て、便利を捨て、そして生き残るに違いない、などと思い上がり、うーんそろそろ街は滅びるころかなー、って思うのだけれど。山に逃げ込んだ僕達より街に住み勢いよくいきている人たちの方がずっとたくましいんだよね。それに、生き残ったから楽しいかというと絶対そんなことはなくって、一気にいってしまった方がいいかなー。

そー言えば、福島原発最近なんだかおとなしくて不気味かも。

 

2/3

鬼ワー外、福ワー家

子供も大きくなってしまい、節分の豆まきもめんどくサー、とあっち向いてシラーッとしているものだからおとーさんはむきになって豆まきをしようと思うのですが、奥様まで掃除が大変だからとやる気なく、寂しく肩を落とすおとーさんでした。

去年は、桂子さんは、指を怪我して入院していたので(あー思い出すと辛さが戻ってくる。人気のない家の中は冷蔵庫状態で、水道は凍り、風呂も焚けず、トイレは満タンで凍りつく始末。)節分は父と子二人で鬼を払ったのに。あー、こうして日本の文化は消えていくのでしょうか。今日拓未のガールフレンドが豆まきだと言ってピーナッツを一杯もってきてくれたので、後でひとりでやろーっと。

みれっとファームの前に先週砂利を撒いて、自家用バックホーで次男の拓未がならしたんだけれど、完成せずに終わり、その後僕がお菓子作りの合間にならしおえたのが月曜日。半分きれいになって半分どろどろ。今年はもう予算もないのでまた来年と思っていたのですが、雪も降らず、道も乾かず、なんとも、宅急便が来るたびに泥んこがきれいに均した砂利の上に侵食してきて、これはせっかく入れた砂利も時間の問題と思い、気合を入れてなけなしかき集め砕石屋さんにもう一台もってきてもらいました。苦節15年の雪のない、冬に果 たして砂利をまいた工場の前庭はなんてさわやかに見えるのでしょう。いつもの年だと,春3月終わり頃雪解けで一時なんとも汚くなるのだけれど,しばらく他人のいう言葉に耳を貸さずにじっと我慢している内に、梅が咲き桜が咲き、地面 より上に目が行くために自分をごまかして来れたのだけれど。とうとう年貢のおさめどきかな。というほどの事か、と思うのはここを知らないからです。

去年は前庭を盛大に大きくとって、苗を何百本も育てて植えたにもかかわらず,あまりぱっとしなかったのは花壇の周りが汚かったからなのかもしれません。今年はきっとまるでイングランドの田舎に住むおばあちゃんが丁寧に作って面 倒を見ているようなかわいいハーブガーデンになるでしょう。 か。

と思っているうちに,雪が降り始め,敷き詰めたばかりのならしたばかりの砂利に雪が積もり、そして何もかも消えてゆく。

明日は寒い朝になりそうです。

 

1/26

こないだの大雨で雪が融けたのはいいんだけれど、みれっとの前が雪解け時のように泥んこ状態で来る人来る人、車から降りるとつま先立ちで歩くんだけれどしろかきした田んぼのように一歩足をおろすと足首まで入ってしまい、車から一歩も降りてこない人もいます。これまで10年以上しかとしていた僕ですが、砕石を入れることにしました。自宅には去年やっといれたのですが、大型トラックに10台くらい入ってまだ足りませんでした。東京から遊びにきた友人一家の子供が、車を降りるや否や靴が泥んこになって泣き出したのがきっかけでした。今回は、車から降りてこなかったお客さんの奥さんがきっかけです。どうせやるなら人に不愉快な思いをさせる前にさっさとやることやればいいのですが、それはそれ。どこまで我慢できるか自分の許容量を測って見たかっただけで、嫌がらせでほっといたわけじゃないのですが。自分の価値観は、やっぱり普通じゃないんだと確認しましたが、初めから解っていたことなんだけれど。

で、今までは、長男の弥市が土方の手伝いをしていたのだけれど、高校3年生のこの時期になると、休みには朝も早くから遊びに行っちゃって。オヤジが一人でやっていたのが、今日は長男に代わって次男の拓未が登場してくれました。重機はきけんなので、なかなか次男にはさせなかったのだけれど、背に腹は替えられない。というのも拓未はよくものを壊す修正があって、取り返しのつかない壊し方をしていたために、被害の大きそうな作業はあまりさせないでいたので、中学三年生というのに車の運転は出来るけれど、まだ路上運転はさせられないし、重機もまだほおっておくほどにはなっていないし。世代交代を測るためには多少のリスクも必要か。

で、慣れない仕事を勝手にさせたために、みれっとファームの前の泥んこはまだ、あります。明日は雪が積もっていそうなのでどうなってしまうのだろうか。

1/16-2

ネットで注文してくれた方が、とっても喜んでくれて、メールをおくって下さいました。敬語ですね。

うれしくなって書き足しました。

1/16

あー金がない金がない。オレがいったいどんな悪いことをしたというんだ〜〜〜〜〜!ちょっとはしてるか。

ここまで金がなくなると文字打つ気もなくなるよ。毎日yahooのオークションでpowerbookのジャンク品出ないかなーってぼーっとなんの生産性もないまま時間が過ぎて行き。新しいアップルのノートが出てちょっと気分がいいかなー。買えないんだけれど。後半年はこの壊れパソコンで我慢。もともと我慢が大嫌いで、みんなそうだよね。特に壊れたものを壊れたまま使うストレスは一番苦手で、また壊れたとしても、なんとかなんでも直して使うのが好きなのに、このノートときたらパーツがないんだから腹の立つッたらありゃしない。みんなはさっさと買い替えろと無責任に言うバカリで。去年の春に壊れて注文した新製品のノートをキャンセルしたときの悲しかったことといったら。言語道断火がぼうぼう。自分の尻に火をつけてたまるか。

と言いながら、毎週電気屋さんで、新製品触ってため息ついて喜んでいる中年男は傍目に見ると、さぞわびしかろーて。

みれっとオンラインでの商品の注文もまだ初めて間もないのにぼちぼちきていてうれしい。暗いわが人生に一筋の灯がさしているようです。

どんな辛いときでも、ちッとはいいことあるものなのかも、かも。懐疑的ですな、まだまだ。今じゃないよね、これからきっと本番があるんだよね。と希望を持とう。

 

2002/1/5

正月もあっという間に終わってしまった。

新年は、寝込みこそしなかったものの、何もせず年末に借りてきたビデオをゴーロゴーロと見ているだけでなーんにもせずに過ぎていったのでした。

正月中は、相方の桂子さんは元気で、起きてはいたのですが、過ぎてからちょっと疲れが出てきたかなー。

長男の弥市はこの春、高校を卒業して、東京へ就職することに決まっていて、この就職難の時世に行き先があるだけいいのですが、過疎の進む部落の人口が減るのはちょっと悲しいかも。やっと力仕事の手伝いになってきたのに。まあ随分これまでも手にはなっていたので、ちょっと開放してあげなければぐれてしまうかもねー。次男の拓未も最近扱いずらくなってきて父親としてはちょっと面白くないね。

今は那須に一人ですんでいる母親のところにいるんだけれど、温泉二回行って、やっぱりなーんもしないでごろごろしていると、いつの間にかうたた寝していて、だんだん身体のあっちこっちが痛くなってきたぞ。そろそろ再起動しないとな。

今年の那須温泉街は雪が多くって屋根の上には、30cmくらい積もって、今日は吹雪。いつも行く温泉は決まっていて、湯元鹿の湯。熱いお湯がでていて元湯というのかな。もう25年位通っていて、長男の弥市は生まれて18年通った温泉で、冬になると鹿の湯入りたいと言ってたのですが、 今回は就職先のお店へアルバイトに行ってしまいましたが。こうして親と付き合う時間が少なくなっていくんだね。

 

12/26

今年最後のパン焼きを無事終了。未熟なパン作りだけれど去年よりはちょっと段取り良くなったかなー。みれっとのパンは、ここいわきあたりではあまりうけないようで、知り合いなども買って下さるのですが、「これはうまい」という声はあまり聞こえてこないなー。焼きたてなんか絶品だと思うんだけれど。やっぱりさめたときにぼそぼそするのがよくないみたいですねー。砂糖入ると粘りが出るしトーストするとこんがりキツネ色だし。本場ドイツのパンだと思えばこんなにうまいパンはないよね。でも、日本人好みのパンってやっぱり山崎パンだよねー。ということはやはりうちのパンはよく言えばインターナショナル、悪く言うと昔のパンだかも。まーいろいろ言う人いるから意見はすなおに聴いて取り入れることは取り入れて、万人うけは無理なのは承知だし。喜んでくれる少数の方のために作って生活できるなら良しとしよう。

で、午後は餅つき。玄米きびもち40キロ出来ました。暮れだけの餅つきは、カンが戻るまでしばらくかかるので、一日めは、気を使ってつかれちゃいます。注文先は一ヶ所だから楽。こ、腰がちょっと。

今年もあとちょっとだけれど最後まで休みなしだね。

12/24

クリスマスのパイやタルトの発送がやっと済んで一息。20日は、朝5時からはじめて、深夜12時30分までかかって箱詰め完了。21日は7時半から3時半までかかって箱詰め。完了するや否や宅急便屋さんに渡してホッとしたのもつかの間翌日の仕込みに入り、平方面の配達に雪の中車を走らせ。桂子さんは、4回も転んだらしいが、一度も気がつかなかったなー。沙夜もほとんどの時間付き合ったのでかわいそうに目の下にちょっとクマが。

毎年辛い暮れだけれど一年の締めくくりだもんね。一年の締めくくりがもう一度。餅つきというのが待っていて、おかげさまで今年も200キロ搗きます。「命ある限り働けー」ってかーんじ。

12/16

いやいや大雪だー

今年の雪は早いねー。今からこれじゃ1月にはどうなってしまうなだろう。って言うのがあいさつ言葉になってしまいました。ここは会津の中通りほど雪が降らない代わり、冬の間中吹きさらしなので寒さが厳しく札幌あたりと同じ位といわれています。雪が少ないので会津から、出稼ぎに来た方がいましたが、寒い寒いと言っていました。いつもなら1月に入ってからの気温だね。隣の都路村の森林組合に薪をたのんだのですが、途中の道路工事で、配達が遅れまだもってきてくれません。薪といってもストーブに入る大きさでなく1.8mの長さのものがトラックに山積みになってくるのをチェンソーで切って斧で割ってと、寒い冬を暖かく過ごすためには辛い準備が必要なんですねー。毎年準備が遅れしまい、大あわてで準備なんですが、今年は年を越しそうです。どこかに石炭はないものかと元炭坑町のいわきで探してみたんだけれど、発電所に大量に卸す以外小売りはしないんだそうな。

なかなかミミズのページができないので、ここに書いておこう。

みんな元気。といっても前にあった人と同じかどうか分からないのだけれど、小さい子も生まれたみたいで、数は増えているみたいだけれど、何せみんな同じ顔しているのでなんとも。でも入れた生ゴミが少しずつ減ってはいるみたいなので土は増えている様子。ミミ子にミミ子にミミ子。みんなミミ子。ミミ太とミミ太。みんなミミ太。

 

 

12/12

忙しくなるのかなって思っているうちに、12月になっていました。

ここではもう雪が舞い、木枯らしが吹き、まだ収穫していない大根が凍りニンジンが抜けなくなりました。

でも、落ち葉を軽トラックに3台子供たちと集めたし、高きび畑も半分は耕したし。

今年は、いつもより寒いよね。って毎年思うのは毎年歳をとるせいですね。

子供のころは、一日が長くて、退屈ばかりしていて、遊んでいても次から次へと別の遊びに変えて一日を過ごしていたのに、今じゃ一つのことするのに時間が足りなくて、朝起きたと思ったら、もうお昼ご飯で食べ終わったらもう一時。気がつけば3時をまわり、もう日が暮れてきたじゃないの。みれっとでは、毎週一回の出荷のためのサイクルができていて、決めた曜日にやることが決まっています。だから、その曜日が来るたびに前の週の同じ曜日を思い出して、ああもう一週間が過ぎて行ったと回想するのです。それが一ヶ月ごとになり、一年になり、そして叉冬が来た。身体の動きが遅くなって、その分時間の進み方が逆に早くなってしまうようです。

関東地方は天気が崩れて大雨になるといっていました。ここは大雪かなー。

 

11/30

やっとショッピングページが出来たと思ったら、商品の数が多すぎてうまく動かなかったもので、しばらく中断していたんだけれど、やっと復活したよ。品数減らして当分はこれでやってみるか。無料のCGI使ったのでしょうがないよね。

カウンターもなかなか増えないもんでちょっと寂しいけれどこれもしょうがないか。と言っているうちに初めて注文が来ましたよ。いやいやうれしいもんだよね。うんとおまけしちゃおうかな〜ってか〜んじ。

12月でみれっとの仕事もちょっとは忙しくなってきたのですが、冬の薪の準備しなくちゃならないのにちっともできないし、畑の荒起こしもしなくちゃいけないし。

この時期はあっちもこっちも手薄になって子供たちも寒いし忙しいし金も欲しいし、ガールフレンドとも遊びたいし。奥様は忙しそうだし。金はないし、パソコンはしょっちゅうフリーズするし、時間もないし。欲しくてないものばかりだね。

おっと昨日名古屋からミミズが到着したんだっけ。名古屋のミミズではなくて、オーストラリアの生ゴミを食べるミミズ。日本にもいる種類みたいだけれど、やっぱり広い国にはたくさんいるんだろうか。プラスチック製の三段積みコンテナー風の容器の中段に土とミミズがうじゃ〜っと入っていて、下段には液肥がたまり、上段には生ゴミを入れるという三階建マンションですね。上が食堂、下はトイレかな。我家の一番暖かい所を陣取っています。嫌いな人が多いだろうから、ミミズ日記を別のページに充実して作ってみようと思います。写真入りで。

 

11/14

戸渡には公共の建物が2つあって、一つは郵便ポスト、もう一つは創立50年の小川小学校戸渡分校。

これが休校になり廃校になるんだけれど、まだまだ立派なかわいい木造の建物で、壊すには惜しい。

そこで、うちのけい子さん(奥様)が村の将来のために一肌ぬぐことになったのですが、何のことかと言うと、まず地区の元住民を説得、次に教育委員会の説得となるわけですがこれが一筋縄ではいかないもんですね。こんなに難しい所だったんですね,教育委員会って。悩んでいるのは,けい子さんですが見ている僕も同じくらい疲れてしまいます。何もしていませんが。でも、取り敢えず直接教育委員会のお偉方と話が出来たので、すぐに壊したりと言うことはなくなりましたが。

昨日の事だったんですが(教育委員会との面会の後)、帰りに駅に置いてきた車の鍵をなくしてきちまって、スペアキーも無くて、一週間前にインロックして大騒ぎしたばかりで、30分かけて駅まで迎えに行き、今日は仕事終わってからキーナンバー調べにまた駅まで行き、明日はやっとキーが出来るのでけい子さん連れて駅まで行き、こんな山から毎日30キロのやまをこえてドライブなんていたくないよね。まったく。

 

11/8

今朝起きると外は真っ白 といっても雪ではなく霜です。

車の窓は凍っていて、いったん運転席に座ったものの風呂場へ行って桶に夕べの残り湯を入れて窓にざぶっとかけ氷をとかし仕事にでました。

これから毎日これが続くと思うとうんざりです。

まだ,さつまいも掘ってないし。

10/31

みれっとファームのある戸渡の山は,すでに秋も終わりの気配で、いつもの年より早く紅葉が始り、今では,道路の両端に枯れ葉がたまっています。、畑にいれるために、軽トラックで集めて積み込んむために集めてくれと毎日語っているようです。

お菓子を作りながら枯れ葉の散る窓の外を眺めていると、高校に通っていた頃、鉄筋コンクリートの建物の教室の窓から溜め息をつきながら外を眺めていた頃を思い出します。東京の練馬の小学校でした。

美術の授業で写生があって屋上から春の校庭を書いた絵が秋の色になっていて教師に馬鹿にされたっけ。